棚田嘉十郎とは、平城宮跡の保存運動に尽力した人物の名前です。
朱雀門の手前に棚田嘉十郎の像が建っています。
平城京大極殿跡の方を指さす棚田嘉十郎。
今でこそ、国の特別史跡として手厚く保護されている平城宮跡。
その平城宮跡も江戸時代には田畑が広がっていたと云われます。米や麦も栽培され、人の多く住むエリアだったと伝えられます。
奈良の都のあった場所だったとは・・・当時の人はすっかり忘れて生活していたんですね。
平城遷都1,200年祭、そしてまだ記憶に新しい平城遷都1,300年祭の成功は棚田嘉十郎の功績なくして語ることはできません。
皆が平城京の存在など、すっかり忘れて生活していた時代・・・そんな折に、これではいけないと立ち上がったのが棚田嘉十郎です。
植木職人として奈良公園の庭師をしていた彼は、献身的に私財を投げうって、平城宮跡の保存運動に生涯をささげたのです。
観光客に平城京の場所を尋ねられる度に、嘉十郎自身も平城京への思いが募っていったのではないでしょうか。当時は省みられることもなく、ただただ荒廃していた平城宮跡。
その保存運動に立ち上がるきっかけが、奈良を訪れた観光客との会話にあったというのも興味深いエピソードです。
棚田嘉十郎像の近くから朱雀門を望みます。
朱雀門につながる朱雀大路は、その道幅が74mもあったそうです。昔のメインストリートは現代の比ではありませんね(笑) タイムトンネルで奈良時代へ行って、是非この目で朱雀大路を見てみたいものです。
棚田嘉十郎氏の像の近くに「あをによし・・・」の歌碑がありました。
奈良の都を代表する歌ですよね。
棚田嘉十郎の指さす方向には大極殿跡があります。
政治の中枢を担った大極殿は、言わずと知れた平城京の中心施設です。
棚田嘉十郎像の脇の照明器具。
夜になると朱雀門がライトアップされ、辺りは奈良時代の歴史ロマンに満たされます。
右手で大極殿跡を指さしている嘉十郎像ですが、左手には発掘された瓦を手にしています。嘉十郎の平城京への思いの強さが伝わってきますね。
朱雀門の前には、往時の様子が偲ばれる絵が描かれていました。
多くの人で賑わう都市だったんでしょうね。
平城宮跡は現在でも、奈良国立文化財研究所によって発掘調査が続けられています。
いにしえのロマンは、まだまだ土の中に眠っていることでしょう。
日本国民の一人として、棚田嘉十郎氏の功績を心から讃えたいと思います。
平城宮跡保存運動の棚田嘉十郎
棚田嘉十郎についてもっと詳しく知りたい方は、Amazon から「平城宮跡保存の先覚者」と題する小説が出ています。どうぞご参照下さい。
<平城宮跡の関連情報>
- 住所:奈良県奈良市佐紀町(朱雀門)
- 生誕:万延元年4月5日生まれ
- 渾名:大極殿狂人
- 功績:平城宮保存顕彰 平城遷都1200年祭 奈良大極殿址保存会
〒633-0001 奈良県桜井市三輪459
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