飛鳥寺の伽藍配置は他に類を見ない様式です。
一塔三金堂。
一つの塔を中心に三つの金堂がその周りに配されていました。
飛鳥寺境内にある金堂礎石。
有名なお寺にお参りをすれば、五重塔や三重塔がありますよね。その塔の近くには仏像が安置された金堂があります。
塔と金堂には深い関係があります。
飛鳥寺の金堂礎石。
飛鳥寺のご本尊、飛鳥大仏が安置されている本堂の前にありました。
歴史を感じさせますね。
飛鳥寺は日本最古の寺です。
仏教を崇拝した蘇我馬子によって建立された、我が国初の本格的寺院なのです。
昭和31年に行われた飛鳥寺の発掘調査により、創建当初の飛鳥寺の伽藍配置が明らかになりました。
奈良のお寺で比較してみるならば、法隆寺は一塔一金堂の伽藍配置ですよね。仏舎利の収められた塔が左側で、釈迦三尊像などの仏像が安置された金堂が右側に位置します。
東大寺や薬師寺は二塔一金堂の様式です。
日本最古の飛鳥寺は、塔の左右両側に東金堂・西金堂、塔の向こう側に中金堂が配されていました。
なぜこのような伽藍配置だったのでしょうか?
その理由を考えるとき、仏舎利の収められた塔の重要性が浮かび上がってきます。
飛鳥寺にある日本最古の釈迦如来像。
お寺といえば仏像、というイメージが私たちにはありますよね。
しかしながら、本来は仏像よりもお釈迦様の遺骨の方が重要なのです。
これはとても大切なことです。
仏像がまだ作られていない時代には、仏舎利(釈迦の遺骨)を塔の心礎の下に埋めて、お釈迦様の廟、あるいは墓所として礼拝していました。
金堂はあくまでも、仏像を納める建物なのです。
飛鳥寺の塔心礎。
飛鳥寺の飛鳥大仏を拝観した後、本堂の裏手へ回って出口へと続いていますが、その途中に飛鳥寺にまつわる様々な写真や遺物が展示されていました。
飛鳥寺の塔心礎は、花崗岩の巨大な礎石だったようです。
基壇より2.7m下に埋め込まれていたことが記されています。巨大な礎石がL字型に4個並んで発掘されています。この下に、お釈迦様の遺骨である仏舎利が埋められていたのですね。
飛鳥寺の鐘楼。
仏舎利が先で、仏像は後だった・・・。
飛鳥寺の伽藍配置が塔を重要視していたのがよく分かりますよね。
仏像全盛期というか、様々な仏像が作られるようになってくると、塔よりも金堂に重きが置かれるようになって参ります。
時代の流れなんですかね。
余談になりますが、仏舎利やお釈迦様に関する言葉を、日常的に私たちは使っています。
これらの言葉はお釈迦様に由来しているんです。普段何気なく使っている言葉ではありますが、お釈迦様ゆかりの言葉だったとは少々驚きますよね(笑)
再納舎利容器。
飛鳥寺の塔は、建久2年(1196)の落雷により焼失しています。
このため、心礎下の埋納品は翌年の3月に一度掘り出されているそうです。東大寺の権大僧都であった弁暁が記した『元元興寺塔下堀出御舎利縁起』によると、掘り出した舎利を新造の金銅製舎利容器に納め、木箱に入れて石櫃に安置し、さらにはそれを塔礎石中央に埋め戻したと記されています。
木箱内部(再納舎利容器)と案内されています。
一塔三金堂の伽藍配置の中で、いかに塔が重要視されていたかがうかがえます。
一塔三金堂の飛鳥寺式伽藍配置には、ちゃんとした歴史的意味があったんですね。
2015年度の春に、興福寺の中金堂再建現場が公開されました。
興福寺の伽藍配置を見てみると、飛鳥寺と同じく三つの金堂が確認できます。興福寺の塔は東金堂の前に位置しているのに対し、飛鳥寺のそれは中金堂の前にあります。この位置関係は何を意味するのでしょうか、益々興味の尽きないところです。
<飛鳥寺の関連情報>
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