桜井市の談山神社に祀られる勝運の神様・藤原鎌足。
鎌足の産湯の井戸は飛鳥の地にあったように記憶していますが、鎌足のお墓は談山神社の裏手の山に眠っています。
談山神社の神廟拝所に鎌足公神像の案内がありました。
勝運のお宮として藤原鎌足が祀られています。
鎌足公神像。
藤原鎌足の長男が、鎌足公の遺骨の一部を多武峰山頂に改葬した歴史が残されています。元々、藤原鎌足のお墓は摂津国阿威山にあったようです。大阪から多武峰の地に改葬されたわけです。
神廟拝所の天井。
改葬と同時に十三重塔と講堂を建立し、妙楽寺と称しました。さらに、701年に鎌足公の御神像を安置して談山神社の歴史が始まります。
神廟拝所には絵も描かれています。
談山神社の由緒には”お寺”というキーワードが隠されていたんですね。元はお寺だった談山神社ですが、妙楽寺と称されていた頃から、優美な構造で知られる十三重塔は存在していたようですね。
重要文化財に指定されている十三重塔。
談山神社のシンボルとして有名です。
十三重塔。
けまり祭の写真の背景には、必ずといっていいほど映っていますよね。神廟拝所と十三重塔の構図は実に見事です。
優美なラインですよね。
檜皮葺きの屋根で、一番下が大きく造られています。2層以上の各層の間隔は極端に狭くなっています。
塔の頂きにある青銅の相輪から、一番下の大きな屋根まで、実に見事なバランスの取れたラインです。
十三重塔の建築様式は室町時代の作と伝えられます。現存する建物の中では唯一のものとされます。
神廟拝所の裏手を通るスロープから神廟拝所の屋根を撮影。
その昔、談山神社はお寺であった歴史を持ちます。この神廟拝所も妙楽寺の講堂として使われていました。
談山神社がお寺だったとは・・・
あまり知られていない史実ですよね。
12世紀頃に遡りますが、談山神社の僧兵が安倍文殊院を襲撃して、全山焼失に至らしめたという歴史が残っています。
同じ桜井市内にある安倍山の「安倍文殊院」を攻撃した歴史があるんですね。
美しい十三重塔の余韻に浸りながら、「十三重の塔守」というお守りを購入して帰路に着きました・・・。
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